シュタイナー教育とは?


久々の投稿です。

書きたいことが沢山ありました。
が、ちょっとお休みすることで私の中の何かを温めていました。

さて、ここのブログに訪れる方の中には、

シュタイナー教育ってどういうものかしら?

と疑問に思い、それを知るためにたまたま訪れている読んでいるという方もいらっしゃるでしょう。

これまでのこのブログにおける投稿件数は184ありますが、すべての投稿を読んでも、なるほどシュタイナー教育ってこういうことねと言える人は少ないかもしれません。

シュタイナー教育って難しくて面倒くさそうと思う人も沢山いるかもしれません。

親子教室や親の会などの勉強会では、シュタイナー教育の観点からいろいろ育児に役に立つお話をします。

では、お友達から

「シュタイナー教育って何?」

「他の教育と何が違うの?」

って聞かれて、うまくこたえられる人はとても少ないと思います。

逆に、

「シュタイナー教育ってテレビ見ちゃいけないんでしょう?」
とか、
「シュタイナー教育ってプラスチックのおもちゃダメなんでしょう?」
とか、
「シュタイナー教育やっている人って手作りでオーガニックのものを食べているんでしょう?」

などなど、なんだか “してはいけない” ”〇〇すべき” というようなイメージが膨らんでしまっていて、シュタイナー教育への敷居が高いと感じている人もいるかもしれませんね。

でも、分かりにくいからこそ、ステレオタイプ的なイメージが先行してしまっているかもしれないと思います。

例えば、シュタイナーはテレビを見てはいけないとは言っていないんです。
プラスチックのおもちゃがいけないとも、オーガニックのものを食べるようにとも言っていないのです。

テレビもプラスチックもオーガニックも、子どもたちの体、心、頭をしっかり育てるためにはどうしたらいいかということを追求した結果にあるものなのです。


では、もう一度、この問いに戻ります。

シュタイナー教育って他の教育とは何が違うの?シュタイナー教育って何?



この本から、高橋弘子さんの言葉を借ります。

シュタイナー教育は「自我と社会性を育てる」教育です。自我が育つということは、「自分が自分が」というわがままではありません。人間として自分の責任を自由に果たしていける「自由の教育」なのです。
シュタイナーは人間は生まれてくるときに、その人生で何をすべきかという「人生の設計図」を持って生まれてくると考えました。そして、本当に幸せな子ども、本当に幸せな人間は、大人になった時に、この世界できちんと自分の課題、自分の仕事をやっていける自我を持っていることだといいました。教育の目標は、持って生まれた「人生の設計図」あるいは「自分の課題」をきちんとやっていけるにんげんになることだというのです。

抜粋ここまで。

高橋氏は人生の設計図という言葉を使われていますが、私はよく現世におけるこの世での持って生まれた役割、仕事という言葉を使うこともあります。

相田みつを氏の詩にこういうのがあります。

いのちいっぱい自分の花を

私という命の花は、他の誰とも違う花。

例えば、桜は桜の、ひまわりにはひまわりの良さがあります。桜のような魅力を持った人が、ひまわりのように生きようとするとそこには無理が生じ、その人らしさを失い輝きさえも失われてしまうでしょう。

ある程度ちゃんとした大学をでて、安定した公務員になりたいと子どもたちが志望し、そしてそういう職について欲しいと思う親は多いようですが、それが本当に幸せな人生を過ごすことができるでしょうか?

もちろん、公の任務は国民のために日々お仕事されている素晴らしい職業ですが、そこに幸せを感じるひとは、それはただ単に生活の安定が保証されているからではなく、人のために社会をよくするために働くことに幸せを感じるからでしょう。

十人十色で、一人ひとり違う人生の学びがあり、仕事があり、役目があり、シュタイナー教育はそのための準備を手助けしてくれるというのです。


世界を動かす


ちょっと古い本になりますが、今、松井るり子さんが書かれた幸せな子どもという本を読んでいます。




この本の中でぐっとくる言葉があります。

それは、

ゆりかごを動かす手が世界を動かすといっても過言ではない

ということ。

これは、ドイツの教育学者フレーベルの言葉です。
どんな偉人にも母親、父親がおり、親が最初の教育者です。
そして親の生き方がその子の生き方、世界とのかかわり方に大きく影響します。

なんだか、世界を動かすというと大きな感じがしますが、私たちは皆、知らず知らずのうちに大小はあるものの世界と関わっていると言えます。

また、違う言い方をすれば、

”バタフライ効果”

と、いう言葉があります。

蝶々の羽のように感じるか感じないかの些細な動きでも、それがきっかけとなり、大きなが嵐のような風へと発展していく例えのような現象をさす言葉です。

松井るり子さんは、幸せなが子どもが増えれば増えるほど世界は確実に良くなると言います。
私も彼女のこの言葉に大いに賛成します。

誰もが子どもには幸せになって欲しいと願いながらも、今の時代、幸せであることが何かしら困難なことのように感じるのはなぜでしょうか?

シュタイナー教育で度々繰り返される大事なポイントは
小さい子どものいる家庭では生活のリズムを整えるようということ。

これを実際やってみると、傍目でみればとても地味な生活の連続です。
覚悟が必要ともいえるかもしれません。

松井さんは、言います。
地味な暮らしの中に喜びを見出そうとして淡々と働いて毎日を送るとき、心の眼は高みに届きます。と。そして、親が子どものそばで、幸せでいようと決めて幸せに過ごしている間に、その子が大人になったときの幸せの核を育てているのだと。

松井さんの言うことに大いに頷けますが、一つ加えるとしたら、やはり、私たちは幸せであろうと思う時、心の向上ができるようにと日々謙虚に反省しつつ、日々の楽しむための工夫と柔軟さを学んでいく努力の後に「高み」が生まれるのだろうと思います。

この世に生まれてくる誰もが何らかのギフトや役割を持っており、それらが世界をよくするために役に立つのだろうと信じていますが、そのギフトや役割は個人が幸せであるときに最大限に発揮できると思います。そのギフトが一旦発揮されるとこれは嵐を起こすくらいのパワフルなものになるでしょう。


人が垂直であることの意味


シュタイナー教育に興味があり、もう少し掘り下げてみたいという日本人のママやパパが集まってする2週間に一度の大人の勉強会。

去年の秋に初めて、1年が過ぎました。

この1年で、シュタイナー教育におけるエーテル体や意志力についての理解を深めてきました。
そして今やっているのが、この本。

医療と教育を結ぶシュタイナー教育
ミヒャエラ グレックラー
群青社
2006-11-01


この本は人智学の医学博士であるミヒャラグラッグラー氏が1998年にアメリカのカリフォルニア州のサクラメントで行った講演録ですが、学べることが多いということで朗読会をしています。

そして、今年2017年の最後の会でやった内容が、「肉体の語る人間のイメージ」という講演内容です。

その中でも私の中ではかなりのハイライトな部分をここで要約シェアーします。

 人間独特のイメージの中で直立姿勢ということは、(霊的に)何を示しているのでしょうか?

直立姿勢は動物の中でも人間だけのものです。

直立である=まっすぐであるということは、外見だけでなく内面もまっすぐであるという存在であり、その直立の上下の中心となる点が心の力であり愛の座であること。

愛が直立存在の中心なのです。
上下にある両極は叡智と力です。


直立=まっすぐさ=Uprightness

これは人が人であることの一つのキーワードにもとらえることができます。
では、まっすぐであるとはどういうことなのか?

誠実であること。
正直であること。
思いやりがあること。
卑しい気持ちを恥じる心。
2面性を持たないこと。
芯があってぶれない自分。
高潔であること。

背中がピーンとするような、そんなことを連想させられます。

昨日、アップしたばかりの記事、「まあ、いっか~の心」とはちょっと反対側にある感じもします。

なんだかふにゃーとした感じと、まっすぐな感じがね、違う所にあるような。
でも、うまくこれが両立してバランスを取りながらできたらやっぱりいいなあと思うのです。

まあ、いっか~の心


先週、我が家の家族が増えました。

生後8週の男の子。

名前はラテ。
そう子犬ちゃんです。

IMG_0262


我が家に来てからこの1週間、家族の時間を豊かにしてくれるセラピー的な存在になっています。

とは、いえ、ラテはまだベイビーちゃん。

トイレットトレーニングだスリープトレーニングだといろいろ心と手間を使います。

ああ、娘二人がまだ赤ちゃんだった時もこんな感覚だったなあというものがリアルによみがえり、娘に赤ちゃんだった時の話をしたり。。。。

ペアレンティングの入門コースならぬパピートレーニングについていろいろYoutubeを見たり、サイトで学びつつ、躾についてどれだけきっちりやるかなどを学んでいるのですが、理屈はわかりつつも、毎日の生活で実践となるとうまくいきません。

ふと、子どもの教育も似たところがあるなあと独り言のようにブツブツと思っています。

シュタイナー教育を始めるとき、、、テレビはなるべく見せないとか、食べ物に気を付けるだとか、おもちゃはどうのこうのとか、、、、目からうろこが落ちるようなことも時々あって、理屈が分かればわかるほど実践しようと思えますが、子どもを一旦目の前にすると実践をするのが難しいと感じることもあります。

特に、トイレトレーニングや一人寝かせなどは個人差や性格も大いに影響するので方程式に当てはめるようにうまくいかないものです。

そんな時、「まあ、いっか~の心」は必要だなあと、今子犬の数々のトレーニングを体験しながらそんなことを思うのです。

これは易きに流れるということではなく、強いストレスからはお互いにいい結果は求められないので、むしろ、うまくガス抜きをしながら必要なガイダンスを続けていく。

それが「まあ、いっか~」ですね。



シンプルの豊かさ


今年も師走真っ只中。

毎年、この時期はなんだか忙しい。
昔から先生(師)も走る時期とは本当、この言葉の真理にあらためて感心します。

現代では先生だけが忙しいのではないようで、この時期は何かと子どもたちも忙しい。 
〇〇のクリスマス会、お友達とのクリスマスパーティー。。。

子どものリズムとは関係なく詰め込まれるスケジュールとあふれるプレゼントの数々。

大げさに聞こえますが、ノースアメリカにいると、これが当たり前の世界です。

こんな時期こそ思い出したいこの人、Kim John Payneさん。
彼はSimplicity Parentingの提唱した人です。

一言で言えば

Less is more

これに尽きるのです。

シンプルな環境と生活とは?

子どもの生活が習い事で詰め込まれていませんか?
静けさを味わう時間がありますか?
退屈で何をしていいかわからないという時間を味わうチャンスがありますか?
分からない問題にぶつかったときGoogle先生に頼らず、産みの苦しみを味わうチャンスがありますか?

おもちゃが少なければ少ないほど、退屈な時間を味わう子どもたちはクリエイティブであることを求められます。

シンプルであることが、まさに豊かな人生の土台を作ることをサポートしてくれます。




悪魔の役割


大人の勉強会を始めてから1年が経ちました。
参加されている皆さん、2週間に1度、忙しい仕事や育児が終わった一日の終わりに集まっての勉強会です。

この9月からはノースバンクーバーのヘアーサロンJive Jiveさんの場所を借りて新メンバーも加わり楽しく続けております。

教育や育児で一番効果的なのは、子どもたちにかかわる大人が日々何気ない場面であっても自分を成長させようとすること。

自己教育

これに勝るものはありません。

勉強会で使っている資料は、ミヒャラグラッグラーさんの講演録。
医療と教育を結ぶシュタイナー教育。


医療と教育を結ぶシュタイナ-教育 [ ミヒャエラ・グレックラ- ]
医療と教育を結ぶシュタイナ-教育 [ ミヒャエラ・グレックラ- ]

1ページ、1ページ、ゆっくりと読みながら、思ったことを思い思い話します。
慣れた仲間なので思い悩んでいることも気軽に話すことができるのは、お互いに学びを深め会える環境です。

さて、前回、この本の講演1に書いてあった”あること”に話の花が咲きました。

悪魔の役割についてです。


講演ではこんな風に言っています。

人間は誰でも悪魔の存在に直面せざるをえないということ。

そして、悪魔を直視し、それを組み込み統合した教育、各人の発達が実際にどれほど重要な問題であるかを気づかせてくれる「障害物」として悪魔が必要であるような教育を必要としているということ。

そして、世界における悪魔の役割は人間を支配することではなく、むしろ人々を人間とは何かに目覚めさせ、悪魔に打ち勝たせることなのです。


参加者の一人は、彼女が持っているタロットカードの悪魔の絵についてシェアーしてくれました。


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その悪魔のカードをどう読むかということなのですが、その絵に描かれている悪魔が持つ鎖が人の首にゆるく巻かれています。

鎖につながれているけど、実はその気になればいつでも自分の意志をもってすれば外せるのです。

鎖に繋がれている”かわいそうな自分”になんとなく居心地がよく、そこから鎖を外すことを怖がっていたり。。。今の状態からいつでも抜け出せるのに、いろんな言い訳をしてその状態にとどまるのはどういうことでしょうか?

また、別の参加者は日本の伝統的行事、節分で追い払う心の中の鬼で例えてみたり。。。。そうです、心に棲む、怠け者の鬼、いじわる鬼、妬む鬼だったり。。。。

何か、問題に出会った時、批判をはじめたり、システムや他人のせいにしたり、もしくは無視してしまったのでは、自分の中に棲む鬼や悪魔を乗り越えることはできません。

もう一つ付け加えると、悪魔はとてもずるがしこいのです。いつも、悪魔の様そうではいないということ。天使のような、福の神のような姿をしていることもあります。

それをしっかりと見破り、悪魔と直面していくことは自己教育では欠かせないものということでしょう。



めぐみの雨


今週は、雨の多いバンクーバー、レインクーバーと呼ばれるにふさわしいくらい雨がザンザン降っていました。
 
幼稚園の子どもたちはそれでも外遊びをします。

水たまりでひたすらジャンプを続ける子。
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雨をたっぷり含んだ砂をスコップでひたすら掘る子。

水たまりの水をスコップですくいバケツにひたすら入れる子。


子どもたちの遊びはさまざまですが、まさにセラピーとしか思えないひと時を見ます。

外遊びの後は、レインコートもその中の服もずぶぬれ状態になることもあります。
泥水で覆われてる顔の子どもも。それでもどの子も満足そうな顔をしてその遊びが本当に子どもたちにとっていい体験なのでしょう。

一通り着替えさせるのは大人にとってはなかなかの作業ですが、、、、まあ、そんな満足そうな顔を見たら、いい時間が持ててよかったと思えます。

雨だからこそできる貴重な遊び。

これはまさに恵の雨ですね。

ギャラリー
  • まあ、いっか~の心
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  • 悪魔の役割
  • めぐみの雨
  • 人間らしくなるための教育 その2
  • 親の愛
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  • 秋の親子教室